つれずれなる俳句

俳句は日本人にとって身近なものである。川柳との違いはあるものの同じ範疇として捕らえてもいいとおもう。俳句を専らとする人からは叱られるかもしれないが、初心者としてはそれくらいの気持ちでいいのではないかと思う。芭蕉や蕪村、一茶の域には達すべくもないがそれに向けて一歩を踏み出すことが重要だ。とまあ、こんな感じで俳句と取り組むことにした。幸いにして、櫂 未知子さんが近くに住まいされている。むかし(十年ぐらい前)彼女のさくらの句に接し、すごい俳句を作る人だと感じ入り新聞の切抜きを、後生大事に今も持っている。ということで櫂さんの指導を受けることにした。

第1回  10月8日

通り過ぎ木犀気付く秋の暮

たまたまであるが金木犀の香りに会って秋を感じたところから秋の暮と結びつけた。

そこはかと木犀香る秋の暮 が最初。しかし、木犀の香りは本来もっときついものでありそこはかとは似合わない。そこで、行き過ぎて木犀気づく秋の暮れ とした。更に、秋の暮金木犀はここにあり と一茶風に花の香りの強さが夕闇の辺り一帯を制する状況を表現した。との経緯を経て無難な表題句とした。このかん行き過ぎてを通り過ぎに改めた。

 評 季語がだぶっているのが残念。

退きし身に時ありあまる秋の暮

わが身の状況をそのままに詠むと 退きて行くあてもなし秋の暮 となる。これでは 行く人もなし秋の暮 とは大違いでありもう少しポジチヴに 退きて時あまりある秋の暮 とし、これから十分ある時間をどお使うかと考えるとの意味を出そうとした。そして、提出まぎはに表題句変更した。どちらがポジチブであるかあまり関係ないかもしれないが、自分の感情としては表題句である。

 評 秋の暮は短時間でありありあまるとあわないといった人がいたことに何かむかっときた。関係ないではないか。

菊枕古人の香りかな

菊枕とは初めて接する言葉であり歳時記を読み意味を確認した。頭痛やかすみ目に効果有りとあったので、早速 菊枕わがかすみ目に効果あり とした。これを具体化すると 菊枕左目下に寝がちなり となった。ところがいろいろ話を聞くと、今日的にはハーブのようなものとしてその昔は使われていたのではないかということであり表題句となった。

 評 

甘すぎる香り放つや貴腐ぶどう

集められどっと放りこむぶどう樽

ぶどうというものに、最近とんと食指が動かず一体何を表現したらいのか戸惑った。ぶどう棚をあらわすのか実っている様をあらわすのかいずれにしても記憶が薄くイメージがわかない。それが、ぶどう酒となったとたん塩尻のワイナリーを思い出した。先の句は、貴腐ぶどうはワインでも最もあまいものでありぶどうが腐るころまで刈り取らないのだから、さぞ甘い香りがするのだろとの推測で作った。これは悪いのかも知れないが?

後の句は実際に見た工場の有様で製造工程の始まりはかなり荒っぽい大雑把なものであった。その様子を詠んだのだがぶどうを集めて絞る前に入れるものをなんといったのか分からず、樽といっておいた。このほかにテレビで蜂は甘いもの寄り付く性癖がありぶどうなぞもその対象というのがあったので 秋の蜂われと共にぶどう狩り と詠んだが蜂の名前が分からず秋の蜂といったため季語がかさなり没とした。

 評 一度見てみたい。

平成二十年十月八日