メインメニュー  よくあるご質問  イソバンドって何?  会社概要  コラム  施工例写真  お問合せ

とりあえずの富士登山始末

著者:千賀 孝

■プロローグ■
 日本一の富士山、一度は登ってみたいor登らなければならないといった感じを日本人の誰もが思っている。
しかし意外とチャンスがない。
それは、日本一の山であるだけに覚悟と装備と連れて行ってくれる人がいる。たまたま誘ってくれた人がいた。

尤もそれは酒の上での話で、どこまで本気であるか自分としてはかなりいい加減なものであった。

しかし、その人は本当に真面目な人できちんとスケジュールを取りに来た。
土屋さんという誠実を絵に画いたような人である。この人との約束は破れないなと、ここで覚悟した次第である。

■メンバー■
 本当に登山をするとなるといろいろ考えることが出てきた。
自分の日常の生活から体力の衰えは明らかでこの対策をまずたてねばならない。

 そこで考えたことが自分より体力のなさそうな人を誘って自分の体力のなさをごまかすやり方である。
格好の人がいた。

高井さんである。
多分この人なら私より早く
GiveUpするであろうから、私もその時一緒に面倒を見る振りをして何合目でも良いからそこから下山すればいい。
しかし高井さんもその危険を察知。
一瞬行きましょうと言ったもののあっけなく断ってきた。
残念。


さて次なる手は強力を連れていくことだ。
この辺になるとスキー仲間がいるいる。
強力たちには事欠かない。

水口さん、中村さんは見るからに頼りになるが、意外と強いのは中川さんや江頭さんだろう。
この辺の人達は若いし行動力もあるから二つ返事で参加する事になった。
よしよしまずは最低限私の荷物を持ってくれる強力達の確保には成功した。


 登りは何とかなるが下りは大変だということに気づく。
これはチタンか何か簡易駕籠でも作って私がそれに乗れないものかと考えはじめた。

こういう私の登山対策を見て何と馬鹿なことを考えるのか、危なくってみていられない。

“義を見てせざるは勇なきなり”と私も行くと手を上げた人がいる。
田崎さんという、一見この世の苦しみを我身一身に引き受けているキリストのような感じの人である。
これで引率者は土屋さん田崎さんと強力な体制が出来たところに更に遠望深慮の田崎さんが橘さんを引きこんだ。
橘さんは若いし元山岳部で今でも山に登っているらしいので、体型とは違ってこれまた大いに頼りになる存在である。


 このメンバーでは余りにも黒々として華がない。
やはり女性が要る。
黒々メンバーが誘った三美人、金子さん、田嶋さん、高市さんである。
金子さんは毎週テニスで鍛えており、田嶋さんは元エアロビクスのインストラクターで週に20
kmは走っているという。
高市さんはスキー始めスポーツ万能という。


 この美人達を見てそれなら私も入れてくれと単身赴任のおじさんが入ってきた。
筏さんである。

 とに角この12人が富士登山をしようという事になった。
(後で塚本さん、山本さん、四ノ宮さんと
3名が加わり都合15名とふくれあがった)

■登山準備■
 一応メンバーも決まったが肝心の私の下山対策が出来ていない。
どうも駕籠の話はうまく行かない
.
増えた我が体重を我が膝が富士下山に耐えられるかこれが問題だ。


 今からトレーニングに励んで登山までに膝を痛めてしまっては元も子もない。
全くの笑話にしかならない。
そこに降って涌いたのが
3ヶ月酒を止めれば5kgは体重が減るという話。
本当かとただしたが某氏は確かだという。
よし、この話に乗った。
丁度
3ヶ月あり5kg減らせば80kgになり少しがんばって78kgにすればラグビーの現役の時の体重だ。
これなら心配なかろうと
3ヶ月の断酒に入る。

 以降、断酒にまつわる話は多く、語るには幾夜必要かわからず前面削除。

■装備■
 圧巻は何と云っても登山靴である。
田崎さんに連れていかれた御徒町の山岳商品店。
百戦錬磨の山オヤジはまるで流れ作業の如き巧みさで私にドイツ製の高価な靴を売りつけてしまった。
一度使っておしまいになるかも知れないがと諦めとも満足ともつかない気持ちで買った。
買ったからにはと登山までに20時間ほど履き慣らした。
東京23区内で一番高い山、箱根山にまで登った。(参考:戸田公園にある)


リュックサックや雨具等といったものは適当に家にあるもので間に合わせ、杖もスキーのストックで十分。
買ったものはヘッドランプとスパッツ程度であった。


 さて一番大事な体重装備であるが、驚くなかれ酒を断っただけで5kgの減量に成功した。
不思議なもので酒を止めるだけで食べ物は一切制限せず、逆に甘いものをよく食べるようになったがちゃんと体重は減る。
瞬間的には
79.8kgをマークした。何のことはない、水分が減っただけではないか。
アルコールによる体温上昇を防ぐための水が不要となり体がそれに反応したのではないかというのが私の仮説。

■富士登山開始■
 やはり登るなら“表口から堂々と”と富士宮口からとする(尤も最短時間で登れるということらしい)。
登り
5時間、下り2.5時間というのがガイドブックによる指標。

 折角であるから富士山を楽しむ一つとしてご来光を拝む計画で2日がかりで登る。
3ヶ月の断酒の効果をもって元気に富士宮口5合目に一歩を記したのは725日午後2時丁度である。

 高山病にならぬようソロリソロリと参ることとするが、比較的ご高齢の塚本さんや筏さんが元気であることには驚く。

6合目まではまったくのハイキング、そこからはいわゆる山道ではなく溶岩の道となりゴツゴツというよりトゲトゲとした道となる。
歩き始めは少し苦しいがだんだんと慣れてくる。
しかし、頃合いをみて休みをとることが大切で、調子に乗って行くと“パタッ”と倒れるのではないかと思う。
ひたすら登るというのはなかなか大変。
7合目で雨は本降りとなり合羽着装する。
再びひたすら登る。
足元をみつめ、一歩一歩、しんどいなとか、ここは楽チン、休みはまだかいな・・・というようなことしか頭にない。
日頃のストレス材料の仕事のことなんか全く顔を出さないところは良い。


 どういう訳かは知らないが再び
7合目で、こちらは元祖7合目という。
新から元祖までは2合分くらいに感じる。山小屋は宿泊客しか入れてくれないので雨の中で休みをとる。


 降りしきる雪の中でじっと立っている馬を思い出した。

 今日の泊まりの8合目の山小屋には丁度5時に着く。ガイドブック通り3時間で着く。
よしよし。
当然若干遅れも若干名いたことを記しておく。

■富士山の小屋■
 いろいろ山小屋はあるが、富士山の山小屋は高度が高いことや、リピーターが少ないことで小屋の人達は登山客を客として扱わないような振る舞いがあるが、それに腹を立ててはいけないとの注意情報を知っていた我々チームにとって、親切な小屋だと思った途端怒鳴り散らす声に合い、あ!やっぱりと変に納得する。
 食事はテレビに出てくるレトルト食品の宣伝そのもののカレーライスであったが文句を言う人は誰一人いない。
酒も小屋から買えばどんどん飲んでいいらしい。(どんどん酒を買ってくれた山本さんに感謝)しかし、診療所の先生に言わせれば酒は高山病の元という。

 さて、就寝となるが、一つの布団に3人が枕を並べて寝ろという。
すべて言う通りしなければならない。
ズラーっと隙間なく顔が並んでいる光景は異様である。
アウシュヴイッツの死体置場はこんなんか・・・

 真ん中の人は布団がかかっているが自由にはならず、端の人は油断すると布団がなくなる。
こんな様子を想像してみると吉本よりも面白い。


 眠れないと言っても寝てはいるし、寝たと思ってもすぐに目が覚める。
みんながみんな我慢我慢の一夜を過ごす。
これが富士山の小屋だ。
有難く思え。
頭と足を交互にして寝るより幸せだろう。
文句があるなら来年から泊めネエゾ〜!

■御来光を求めて■
 相当な雨である。
トタン屋根を打つ雨の音の激しさは下界における大雨と同じである。
3,000mを超えているのにまだ上からかくも降り続くとは自然の不思議さである。
 この雨がである。
26日午前1時にはピタリと止む。
冴えた月が空に。
下界の夜景は富士宮市か。
この段で行けば山頂までは大丈夫そうだ。
予定どおり
230分に8合目山小屋を出発。
月はあるが星は見えず周りは真っ暗である。
持参したヘッドランプが威力を発揮する。
だんだん明るくなって来るが、雨か霧か果たまた高山病か、周囲の変化は判るが太陽が見えないことに殆ど関心が向かない。
9合目、95勺と急坂をひたすら登る。
上を向くと軽い目まいがする。
小屋の親父に聞けば「高山病の走りだ、もう少しペースを落とせ」と、
言う。
やっとの思いで浅間神社にたどり着く。
やたら自衛隊員がいる。
我々のいる場所がない。
とりあえず神社に参拝。
金剛杖に頂上の証明判を貰う。
併せて隣の郵便局で日本一高いところからの郵便を出す。
ここからのはがきも
50円だ。
日本国内統一料金という郵政事業のおかしさを知る。

 兎に角、ご来光は見られなかったが頂上にたどりついたことで満足する。
ガイドブックより
30分オーバーの3時間かかる。

 塚本さんの気圧計によると650ヘクトパスカルである。
下界の
3分の2気圧の下では誰しも体に変化をきたすのは当然である。
その影響は頭が痛く苦しいというパターンと操状態、まさに雲の上にいるような気分になるパターンとに分かれる。

■下山■
 何も見えない乳白色の中ではどっちのパターンの人も長居は出来ない。
早々に下山する。
登りと全く同じ道を降りるがこんな道を登って来たのかと驚きながら下りる。
下りではあの高価な靴は大変ありがたい。
滑らない、わずかの足掛りでも安全に体重を乗せられる。

 とがった岩を踏んでも全く大丈夫である。
更に効果を発揮したのが金剛杖とスキーのストックである。
獣のように四つ足で山を下りる訳だから足への負担は少なく、スピードも上がる。
そうそう大切な事は杖は長い方がいい。
短いのでは前足の機能が十分果たせない。
120130cm程度の長さの杖が丁度いい。
私の場合、現地購入の金剛杖とスキーストックという異なるものではあったが適当に右左と持ち替えバランスをとりながら使うことで十分効き目があった。

 下りも注意したいことは登りと同じくスピードを出しすぎないことである。
余り早く下りると逆高山病になる。
注意注意。雨の中、結局は4時間かけて
5合目の出発地点にたどり着く。
 無事登り終えたことにホッとしたというのが偽らざるところである。

■エピローグ■
 霊峰富士といわれるが既に山頂までブルドーザーが登るようになったのであるからもっと開発すればいいと思う。
山梨県側にロープウエイやケーブルカーをつけ静岡県側からは今までと変わらない美しい富士の姿が見えるというのはどうだろうか?又、山小屋も立派なものにし、ゆっくりと休める施設を作るべきである。(パネルが売れるかも・・)
バイオで完備された美しいトイレ、優雅な夕食、柔らかな寝具、これだけあれば高山病など吹き飛んでしまうであろう。

 2ヶ月で30万人1日当たり5千人の登山客で満足することはない。隅田川の花火は一晩で95万人という。私の案にすれば外人観光客もドッと来る。
まさに観光立国日本だ。

 3ヶ月に亘り、メンバーの皆さんを始め大勢の方々に御迷惑をおかけしましたが無事登山したことをもってお許し頂きたい。
ありがとうございます。

’0381

                                          千賀 孝

■お薦めサイト■

 メインメニュー  よくあるご質問  イソバンドって何?  会社概要  コラム  施工例写真  お問合せ