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ゴン太物語
著者:千賀 孝
提 供
潟Zンガコンサルタント
株式会社 センガコンサルタント

10ゴン太の新しい生活

飛行機で空を飛んできたゴン太に北海道とは違う東京の生活が始まった。
もともと、ゴン太を飼ったのは、それまで家族に生き物を飼うことの大変さとそれへの愛情を感じさせることであったが、いま一つ必ず別れがあることを教えようと思ったからである。
しかし、この別れを教えることには失敗をしてしまった。
もともと猫派の妻が犬派に変身し、ゴン太と別れることを断固拒否したのである。
アイヌ犬であるゴン太は北海道の地においてやる方がいいのだと言い聞かせようとしても家族の一員を置いていくことはできないと頑として譲らない。
そういえば、叱られるかもしれないが国勢調査にもゴン太を同居人1として明記していた。
従って、当時の日本の人口には1人多かったことになる。

しかし、勤め人として東京に住む場合は、犬を自由にかえるような社宅がそう簡単にあてがってもらえるわけがない。ならば郊外に一軒家でも建てるしかないのかと考えたが、今日言ってあす入れるわけがない。
困ったことだと頭を悩ませていたところ親切な人がいて犬の飼える社宅が半年後に一軒空くが待つかと聞いてくれた。
これはいい話だとすぐにのっかったわけである。
子供の学校等で家族が遅れてくることはよくあることだが、犬のために家族が遅れてくることなんぞはきいたこともない。
よくよくゴン太には人格ではなく犬格があったものだと感心するとともにまわりの人に感謝したものである。

犬のために単身赴任をする人間なんかは聞いたこともないと、皮肉を言われたりしたものであるが、じっと我慢をし、ひたすら半年間を自重してすごしたのである。

さて、ゴン太の転居については、空を飛ぶところで述べたが、新しい住まいに連れられてきたときは犬も飼い主も、ホッとするとともに感動的な再会であった。
移動籠から出されたゴン太は飛びついてくるは顔中を嘗めまわし体全体で喜びをあらわす。
考えてみれば、朝、北海道でゴン太を籠に入れて夕方には東京で再開したのであるから10時間もたっていないのであるが、相当長い期間会っていなかった感じがしたのである。
移動や環境の変化は、単なる時間の変化を相当長いものに変えるのかもしれない。
歩いてきたとすればそれこそ時間の経過は計り知れない。
また、疲労は時間ではなく移動距離であるという説もあるが、それが本当なのかもしれないと変なところで疲労移動説に関心をおぼえたものであった。

ところで、再会に落ち着いたところでゴン太はまづ水をよく飲んだ。
そういえば移動籠には水を入れていなかった。
犬は半日やそこいらは水なしでも大丈夫だという運送屋の言葉を信じ、輸送上に支障をきたすものは極力入れず、餌で水分のおおそうなものをいれておいたにすぎないから、水を一番ひつようとしていたのであろう。

また、ゴン太は暫くの間飼い主の傍を離れようとはせず何かとつきまわっていた。
ゴン太にしても初めての経験で相当精神的にもショックがあったから、この経験を再びさせられぬようにと犬なりの注意を払っていたのであろう。

とにかく、人間の荷物より犬との再会で東京での生活がはじまることとなったわけである。


11ゴン太の生活環境

いよいよゴン太の東京生活が始まったのであるが、どのような環境であったかについて説明しておかなければなるまい。
東京の中でも割と閑静なところであって、マンションなんかの少ない戸建て住宅地であった。
何よりいいのはいえの前に少しの庭があり、横を通って裏の庭に通じていることであった。
なかなかシャレタ家ではあった。
しかし、シャレ過ぎていて家の周りの柵はモダンな格好のいい形の鉄柵でもちろん外からは家の庭はまる見えで、犬など放し飼いにすれば自由に外に出ていってしまうというものであった。
したがって、全体的にはよさそうではあるが、ゴン太にはそれほどいい環境といえるものではなかったようである。
当然、番犬の役目も果たさせるわけであるから、玄関脇にくくりつけられるようになってしまった。
北海道ではつないでいる鎖も長くしてゴン太の行動半径もできるだけ大きく取っていたが東京の玄関先ではそんなに鎖を長くするわけにもいかず、極めて限られた範囲に押し込めざるを得ない。
それでも、郵便配達の人にとびかかる事件が起きるのである。

このような環境に置かれると犬は、大きなストレスを感じだんだんと痩せてくるのである。
加えて元気な犬もだんだんとその元気さもなくなりだした。
これは見るにしのびないが、それこそ人に噛みつくようなことが起こっては大変であるから、綱を延ばすわけにはいかず、我慢させていたのである。

何かいい方法がないかと考えていたところに、北海道からなんと鹿の肉を送って頂いた。

宛先もゴン太になっているので、これは早速ゴン太に食べさせて見ようとしたのであるが、あまりのよさそうな肉でありヨーロッパ辺りでは高級な食材である鹿肉なので人間様が味見をしてみた。
もっとも料理がそれほど上手なわけがなく、なるほど鹿肉とはこのようなものであるかと勝手に合点をしたのである。
ところが、ゴン太に与えるとなんとまあ、うまそうにがつがつと食うではないか。
われわれよりも相当の食通ではないかと全く驚いたしだいであった。
しかし、一度に食べさせるのはもったいないので分けて食べさせることにした。
すると、痩せてきたゴン太がなんと元の形に戻りだしてきた。
これには驚いた。
たしかに、アイヌ犬には鹿肉が何より体力増強には効くと聞いてはいたがこんなに早く、見る見るうちに元気を取り戻した。
北海道の人はよくご存じでぼちぼちゴン太もまいってきているのだろうとお考えの上でお送りいただいたのであろう。
このあと、ゴン太は毎年鹿肉を頂戴することになって、元気さを保ちなんと18年もいきることになる。もちろん、狩猟の解禁になった冬場にとれた鹿肉を送っていただくが、夏バテのときにやるのが一番効果的であることをわれわれが学習し、冬に頂いた肉を冷凍して夏用に保存しておくことを忘れはしなかった。
肉なら何でもいいというのではなく、本当にゴン太には元気のもとであり、何よりの薬でもあったようである。
このようにしてゴン太は新しい環境になれていったのである。
また、医者が言うには犬の寿命は大きさにもよるが7−8年から12−13年が平均であると言っていたが18年も生きることとなったのは、北海道の人達のゴン太に対する愛情のお陰と今でも感謝に耐えない。


12ゴン太の環境の変化

新しい環境に慣れてきたゴン太であるが、また変化が起きることになった。
今度の変化はいい変化であって、その後のゴン太の生活をゆたかにするものとなっていった。

ある日突然会社の担当の人から電話があり、「お宅の鉄の柵が錆びてきたので換えることとするがいいか?」というものであった。
そこで私は「どんな柵にするのですか?」問い直したのである。
すると「現状のものの取り換えである」とのことであった。そこで私は少し考えて「コクリートでできたいわゆる万年塀と今の鉄の柵とはどちらが安いんですか?」と問い直したところ「それは万年塀ですよ」という答えが返ってきた。
ならば「安いほうでいいですよ」答えた。
それならばそうしようということになって、私の家の塀は万年塀となったのである。

これがゴン太の生活を大きく変えることになったのである。

万年塀で家を囲ってしまえばいえの庭はゴン太ランドになるわけである。
今までの柵では容易にゴン太が外に出られるが、万年塀で囲んでしまえばいくらジャンプ力があるといっても飛び越えることはできず、ゴン太にしても自由に庭を駆け巡ることが出来、短い綱で一日中つながれていることからすれば、それこそ楽園といえる。
こんないい話に乗らないわけはない。
担当の人は少し不思議がっていたようだが、私はその方がいいと安い万年塀を選んだのである。

おかげでゴン太は一日中好きなところで過ごせることになりストレスはなくなるは、裏庭のガラスを叩けば誰かかがいるわけだから元気いっぱいとなってきた。
ゴン太と呼べばどこから出てくるのかこれが又おもしろい。
庭には結構大きな木や草や花が咲いていたたからゴン太の気分によっていろいろな所に潜んでいる。
その中でも比較的には大きな木や大きな葉の中にいることが多かった。
休みの日などはゴン太を追い回したり、あるいは追われたりして楽しい時間が過ごせたものである。


ゴン太がすやすやと寝ており、私の近づくのにうっかり気づくのに遅れ起こされたときの狼狽ぶりは、これまた面白い。
必至で尾っぽを振り媚を売る鳴き声を出す精一杯の態度は可愛いものである。
また一方、見つからないように隠れていることもあり、見つけられると追いかけておいでと言わんばかりに逃げ出すこともある。

そのような時でも表の方で人声や物音がすると飛んで出ていくという犬の習性は忘れてはいなかった。

ゴン太に留守番をさせて出かけるときは、塀の下の方にある風通しの隙間から、なんとかついていこうとして、鼻の先だけで家人のあとをおう。逆に、家人が帰ってきたときはその隙間から鼻をだして出迎えるのであった。

犬と人間の関係はほとんど人間の歴史とあるようにいわれるが、これほど忠実な関係もないであろうと思う
この万年塀もゴン太の長生きの要因だったといえるだろう。


13ゴン太の散歩その2

住むところが変わろうといろんな経験をしようと、犬には散歩は欠かせないものである。

もちろん、ゴン太も散歩は大好きであることに変わりはない。
時間は朝早くに出かけることが最も多いが、時によっては昼になったり、夜になったりすることがある。
昼や夜の場合は待ちかねていたわけであるから、その喜びようは大層なものである。
引き綱を見ただけで庭中を走り回る。
素直に引き綱を掛けさせればいいものを飛び跳ねるものであるから、出発までに時間がかかる。
このような行動は、訓練をすれば治るのかもしれないが、犬には最小限の金銭的支出をしないと決めている我が家の大蔵省の方針に従い、訓練は自前でやっている。したがって、犬の身につくものではない。
しかし、金をかけることを最小限にするからといっても、別に虐待するわけではなく、どこにもまけないくらいの愛情をかけている。
それでもって金銭にかわる効果を出すというのが大蔵省の方針なのである。
しかし、日本犬のかわいいところは必至の眼でひたすらそのものに向かっていくというところにあるように思える。
従って、躾の点では洋犬には敵わないが、かわいさという点では、むしろ洋犬に勝るとのではないかと自負している。


散歩の時間によっては景色や出会う人や物に差があるから、結構面白い変化に出くわす。

朝一番では、先代の若の花にあえることだった。
当時、すでに60歳をとうに越しておられたが、相撲界では小さい方であったというが、一般世間では結構大きな人であった。
「おはよう」と声をかけながら一生懸命に歩いておられる姿には昔の猛稽古の姿を思い浮かばせるものがあった。
また、あさのジョギングの人たちが多く、その中には知り合いがいたりして、今日は誰に会えるかなという楽しみもある。
しかし朝早くジョギングをする人には立ち止まって話交わすというより、やはり「おはよう」で通り過ぎることが圧倒的に多い。
出勤前の時間であるから当然そうなるのである。

れが昼ごろになると「やあ、やあ」と話しこむことになったりする。
もちろん、昼過ぎになるということはやすみの日であるということも関係しているだろう。


休みの日はまたとんでもない人と出会ったりする。
てっきり独身だという言葉を信じていたひとが違っているということを発見したりすることもありおもしろい。

我が家から公園まで行くのに10分程かかるがそのかんにいろんなお宅があり、犬好きの人が多い。
ある著名な俳優さんなんかに犬の種類を聞かれたりすると、こちらは、胸を張って「アイヌ犬」ですと答えると、「これがアイヌ犬ですか。いい犬ですね。」とお世辞にでも言ってもらうとうれしくなる。
加えてその人のファンになってしまう。

また、通り道にはほとんどの家が犬を飼っておられるので、ゴン太と相性のいい犬やどうも相性の悪い犬がしたりする。
また、なんとなくあまり面倒を見ておられないように見える犬などは可哀そうに思える。
飼う犬に、はやりすたりがあり、はやりが過ぎた犬なんかは気の毒になる。
なにも我が家がベストのいぬの飼い方をしているわけではないので偉そうに言えるものではないが、犬の種類や大きさなんかを飼う前によく検討をして飼うこと決めることが肝要でしょう。

14ゴン太の散歩その3

ゴン太の散歩にはいろいろ事件が起きる。

ある時はゴン太が気持ちよく用を足しているときに遠くから一匹の黒い犬がゴン太の方に走ってくる。
こちらに来ない方がいいのにと思っていたがどういうわけか黒犬がゴン太にとびかかってきた。
どうするかと引き綱少しゆるめて持っていたところ、あっという間にゴン太はその黒犬を組み敷いてしまった。
前足の片方で黒犬を押さえつけ首根っこに噛みついている。
犬も生死をかけた争いではないようなので、折角の用足しを邪魔され腹いせかと思ってゴン太のやるがままに任せていたところ、その黒犬の飼い主が飛んできて早く話してくれと言う。
勝手に犬を放してやっつけられるようなことをする方が悪いのではないか、と意地悪なことをいってしまった。
飼い主のおじさんがあわてて私の引き綱を引いて2匹を放したところ、黒犬はキャンキャンと叫んで逃げて行った。
別に血が出ているわけでもなく、走って行ったところを見ると黒犬もけがはしていないようで、そのまま、飼い主は黒犬の後を追いかけて行った。
なんとなく、どうだアイヌ犬は強いだろうと自慢化な気持ちになった。

しかし、ゴン太は猫にはあまりつよくはない。
植込みの中の猫にちょっかいをだしたところ、猫の爪で舌を引っ掻かれ大層なけがをした。
その時は、ゴン太も驚いたが、意外とさばさばしており、その後は何事もなかったように過ごし、食べ物も普通に食べそのうち治ってしまった。
自然界の生命力の一つである治癒力もたいしたものである。
でもこれには懲りたようで猫には近づかなくなった。

この事件以後、猫派だった妻は犬派からさらに猫を敵視するまでに変身してしまったというおまけまでついた。

また、ゴン太はあまり他の犬には興味を示さないのであるが、時として、とびかかっていこうとすることがある。
小さな犬にはそのようなことはないが、やはり同じような犬にそうした行動をとる。
なにが原因でそうなるのかは分からないが、急に吠えだし突進しようとするのであるから、よくよく気をつけていないと、振り払われてしまうこともある。
そのあと暫くはまさにバトルである。双方の飼い主同士が自分の犬を捕まえておとなしくさせるのに少々の時間がいる。
双方の犬が引き綱を外れて牙をむいて組み合っていると2匹を分けるタイミングがいる。
種の同じものどうしは殺しあうまでは戦わないものというから、しばらくは様子をみて、にらみ合う状態になった時に分けてしまうのがいいようだ。


したがって、ゴン太の散歩にはしっかりと引き綱が手から離れないようにする注意が必要であった。
尤も、こんなことはそんなにあることではないが、犬ではない何かを見つけて突然走りだそうとすることは時々あった。
のんびりとふらふらと散歩したいのであるが、ゴン太はそれを許してくれない。
常に飼い主を前へ前へとひっぱって行くスタイルであり、日本犬の特徴でもあるといわれている。
しかしながら、訓練すればそのようなことはなくなるかといえば、すぐに忘れることも日本犬の特徴だという人もいる。
まさに、日本犬

ゴン太である。

15ゴン太フィラリアに罹る

ゴン太を散歩させていた時に、何か変な咳をするようになった。
「ゴホン、ゴホン、ギャ」というような咳をする。北海道から連れてきたから、環境の変化で風邪でもひいたのかなと思っていた。
そのうち、家にいても時々同じような咳をする。
おかしいなと思いつつも、なかなか治らない風邪だなとしか思っていなかった。

それが、ある時、夜家に帰ると妻が大変だ、大変だ「ゴン太はフィラリアに罹っているらしい」という。
どうしてわかったのかと問うと我が家の前を通った女性二人の会話にゴン太の咳を聞いて、「かわいそうに、ここの家のワンちゃんフィラリアだね」と言っていたという。
われわれ北海道にいたときはフィラリアのフの字も知らずに過ごしていたから、すっかり犬の大敵のことを失念していた。
北海道にはフィラリアを媒介する蚊がいないから、狂犬病の予防接種はするもののフィラリアの話は全くでてこなかった。
従って、忘れ去ってしまっていたのに無理はないといえども、もう少し注意をすべきであったと大いに反省し、早速、近くの獣医に連れて行って診断を請うた。
さすが専門医だけあって、あっさりと「フィラリアですね」おっしゃる。
これはかわいそうにゴン太の命もそう長くはないのかと落胆しどうすればいいのかとまどった。

ところが、この先生はなかなかできた人で、われわれの心配顔をみて、そんなに心配しなくてもいいですよ、犬にはみんなと言っていいほどフィラリアという虫を体内にもっているのですと仰る。
ただ、その虫が体内を動き回り心臓にまで達すると危険な状態になるのであって、この虫を活動させないようにすればいいわけで、また寒くなれば自動的に活動しなくなる。
今日ではこの活動を制御する薬もあるから投与することで、十分コントロールができるから大丈夫ですよと慰めていただいた。
ただし、この犬の場合はかなりの進行が見られるので、散歩の途中なんかに「パタ」っと倒れたりすることがあるかもしれない。
そんな時には体を叩いてやってください、そうするとまた起き上がります。
とまあ大変なこと聞いた。
そんなことでゴン太が生き返るのですかと驚き、なかば呆れ顔で問うたところ、詳しい説明はなく「そんなもんですよ」との答え。

さらに、その先生は犬に薬をやる方法も教えてくださった。
どんなチーズでもいいが犬が一口で食えるような大きさのものを3個つくり、その中の一つにこの薬を入れる。
そしてまず、薬の入っていないひとつをあたえる。
それで犬は好物がもらえると喜ぶわけだがここからが面白い。
さらに薬の入っていないもうひとつを犬に見せ、これもやるよと期待させ、その間に薬の入ったチーズを食わせすぐに、見せていた薬の入っていないのをやる。
すると犬は2個目の薬の入ったチーズは飲み込んでしまい三番目のチーズ味わうことになり、薬はなんなく飲んでしまうという。

なるほど犬の習性として上手に嫌なものは口の中で分けてはきだしてしまうせいへきがある。
その対策としては、極めて有効な手段である。
しかし、この順番を間違えないようにすることと、犬にこちらの思惑どおりに食べるようにさせることが重要でもある。

その後、家に帰り、一口大の丸いチーズを求め、言われたとおりに与えようとするが、ゴン太もよく見ており、食い物にはなかなかおとなしくしていることはない。
自分の身近にあるものから食べようとするので、薬の入ったチーズをうまく隠しておくことと、さらにまだあるんだよということを十分知らしめておかないと、ついつい薬の入ったチーズを噛んでしまう。
すると、必ず薬だけを吐き出してしまう。
となると、もう一度最初からやり直すことになる。
何度か繰り返すうちにうまく与えられるようになった。

このおかげで、ゴン太の咳は出なくなり、散歩の途中でパタッと倒れることもなく、フィラリア虫もおとなしくなったとみえて、長生きをすることとなった。


16ゴン太の散歩その3

ゴン太は必ず一日一度は散歩に行く。
コースはいくつかあるが夏場は水場のあるコースが好きなようだ。
特に、暑い日は池のあるコースを好む。

散歩は、例によってどんどんと飼い主を引っぱってゴン太が先へ先へと進んでいく。
もちろん、飼い主と思いが違うとゴン太は方向変換せざるを得ない。
そのようなときは、素直に飼い主の言うこと聞き、ゴン太は強情を張ることは殆どない。
なにしろ散歩することが目的であるから、方向についてはそれほど主張することはないとでも思っているのかもしれない。

池に着くとそろりと池の水を飲み、それから池に入る。
もちろん引き綱はつけたままであるから、岸辺に沿って泳いで行くこととなる。
教わることもない水泳ぎが自然にできることはなんとなく不思議な感じがする。
頭だけ水面上に出し、犬かきという泳ぎ方である。
体全体が水の中にあり特に尻尾の方は水の中でもさらに沈んでいるから、見ている方はいつ全体が沈んでしまうか分からないような不安感を持つが、ゴン太の方は平気で自信ありげに泳いでいる。

しかし、やはり犬はあまり水泳は得意ではないと見えて、5分もするかどうかの時間で満足する。
皮膚呼吸をしない犬には体の表面が冷たくなるだけで十分なのかもしれない。
水から上がったゴン太は体全体を振り水分を飛ばしてしまい、気持ち良さそうな顔つきをする。
石鹸でも持ってきてついでに洗ってしまいたいという誘惑に駆られるが、公共の池の水を汚すようなことを考えるとは公徳心に欠けること甚だしいと自戒するかいぬしである。
水泳は、ゴン太にとって体を冷やすことで気持ちがいいことではあるが、一方、エネルギーも使っているわけだから、水から上がるとしばらく休みをとる。
木陰の涼しいところに座って満足げに長い舌を出してハアハアといきをしている。

周りを見ると、犬を池に入れている人は誰もいないので、犬を池に入れるのはいけない事かと心配した。
ゴン太を池で泳がせる時は何かしら後ろめたさを感じたのだが、その後も図々しく続けたのである。

フィラリアでは大変心配したが、咳もおさまり、散歩の途中でぱたりと倒れることもなく過ごしてきたおかげで、散歩の途中で泳ぐこともできるようになり、あの獣医の先生には大変感謝している。


17ゴン太とわが家族との関係

ゴン太も数年たつと家族の中でそれなりの位置づけなり、それぞれとの関係ができてくる。
まず、私は一番偉い人であることを認識しているようであり、いうことをよくきく。
例えば、散歩の途中で私より前に出ないように叱ると、一応その時は命令に従う。
家族の他の者がそのようにさせようとしても言うことはきかない。
これは、権威で聞いているのではなく単に力の差だとも考えられるが、腕力も十分権威の一つである。
イギリス紳士にはボクシングは必須科目だという説もあるくらい、力とは知力のみならず体力と合わせたものであるということであろう。
日本でも武士とはそのようでなければならないとされたこととおなじである。
もっとも、犬に向ってこのようなことを言っているようでは、知力に問題があるのではと疑われかねない。

息子その1、その2と二人いるが、彼らとゴン太は少々微妙な関係にある。
その2との関係は極めて良く、わが家に来た時にはゴン太と一緒に寝ていたくらいだから、ゴン太も全く兄弟のように思っている。
その2もよくかわいがるから、お互いにいい関係が作られたのだろう。
その2がゴン太小屋にのって塀の外を見ているとゴン太はそばにいて、その2の指先に鼻をつけ静かに様子を見もまもっている。
この姿は何ともいえぬ微笑ましいものであった。
また、その2が家の窓から顔を出すと飛んできて、何かいいことがあるのではないかと、期待するようなしぐさをしたり、散歩に行こうとさそっているようなしぐさする。
学校から帰ってきたときなんかも大変な喜びをあらわす。
「おかえり」と言わんばかりの鳴き声でその2を迎える。
その2もまた一番にゴン太のところへ行き、ゴン太との信頼の絆を確認している。
このように、その2とゴン太との関係はゴン太の一生の関係として維持されていくのである。

その1との関係では私が見ている限りにおいて、その2とはかなり違いを見せているようだ。
かなりゴン太はその1に警戒心を持っている。尤も家族の一員であることは十分認識はしているのであるが、その1は何かいたずらをする。
その悪戯をゴン太は警戒するのである。
私は直接見たのではないが、ゴン太の鼻のあなをふさいだり、時には酒を飲ませてみたりするそうだ。
その1も生き物を飼うのは初めてであり、良く考えれば好奇心から動物の反応を見ているといえば格好いいのであるが、分かり切ったことまでするから、ゴン太に嫌われ、家族からも注意を受けるのである。夜の夜中に4時間も散歩させられれば、いくら犬は散歩好きだとはいえ疲れきるだろう。
そのような状態をを見るのがおもしろいらしい。
人間的には別に変ったことも無く普通の子なのだが、すこしいたずら好きなのだ。
このようなことをゴン太は警戒するのであって、普通の時には何ら問題はない。
しかし、ゴン太には要警戒の態勢をもっているのである。

妻との関係は全く親子以上の関係であり、わが家の中で一番の信頼関係にある。
出て行けばいつ帰るか分からない旦那と反抗期の息子たちと比べれば、素直なゴン太が一番かわいいのである。
とにかく、一日中一緒にいるわけだからそのような関係になるのは当然だが、人間同士では一日中一緒というのも疲れるものだ。
その点、犬との関係は双方的ではあるが、やはり人間のほうからの力が強いからもつのであろう。
餌をくれるは、散歩に連れて行ってくれるは、時々遊んでくれるは、ブラッシングもしてくれるとゴン太にとっては何の文句もない。
従って、ゴン太が餌を食べているときに何かの都合で一時的に餌を取り上げてもおとなしく待っている。
私は子供の時から犬を飼ったことがあるがこんな犬は初めて出あった。
餌を食っている犬の餌に手を伸ばそうとすると飼い主であろうとなかろうと必ず威嚇したものであった。
その点は全くのんきにしているゴン太は私にとって稀有の犬だった。
変なものを口に入れれば口の中まで手を入れて引き出してやったりもした。
嫌がるが決して噛みはしない。

このように育て上げたのが妻の功績である。
また、妻とゴン太はお互いに保護をするかんけいにもあった。
それは、山の中なんかでときとして引き綱からはなしてやると大喜びであちこちに走り回るが必ずどこからか顔をだし、ここにいるという風にする。
どんどん遠くにいってしまうことはない。
だからと言っても、もういいとはいわない。
帰ろうと思って捕まえようとすると、必ずわれわれの手からするりと逃げて、ここにいるよとからかわれる。
そこからが、妻の出番である。
彼女が顔を伏せてしゃがみこむと、ゴン太はどこにいても必ず彼女のそばによりどうしたのかと様子を見に来る。
その時に彼女が捕まえるのであるがゴン太はなんの抵抗もなく静かに顔を嘗めている。
まるで無事でよかったとでも言っているようだ。
この捕まえ方は彼女以外誰もできないし、かならずこの方法は成功した。
これは、おそらく彼女を保護するあいてとゴン太も認識しているものとしか思えない。
たんに餌をくれる人ではなく同士をを超えた一体感で結ばれるようになったのである。

このように、ゴン太と家族との関係はそれぞれの距離が微妙に異なりながら、家族として生活をしていくところに面白いところがあるのだろう。
従って、国勢調査にゴン太を同居人とする気持ちがわいてくるのである。

お陰で18年にわたり妻の平安を守ってくれたゴン太には大いに感謝している。



18ゴン太とキタキツネ

北海道に住むといろいろ楽しい体験ができる。
例えば、北海道は内地と違って、梅雨がないという。
しかし、沿岸部ではその頃は、ヤマセと言って始終霧がかかり、寒い時期が続く。
6月から7月にかけては毎年このヤマセに襲われるのである。
長い時には8月にかかる時もある。
ある年、高校生のサッカーの全国大会が開かれたのであるが、あまりの寒さに生徒たちが風邪を引いてしまい、早々に帰ってしまった学校もあったほどだ。
このように内地とは違うが、北海道の梅雨の季節とはこのようなものなのである。
住んでいなければ分からないことで、たまたま旅で経験したときの印象がすべてのように受け止められてしまうことがある。
これも、ハロー効果というのかな?

そうそう、キタキツネの話であった。

ある月の奇麗な夜であったが、いつになく、ゴン太の様子がおかしい。
普通ならば静かに休むころなのに、ゴソゴソと動き回っているようでなんとなく鳴き声もいつもとは違う。
ゴン太は例によってネットで囲まれたその中を自由に動き回れるようにゴン太ランド
がつくってあるので、月に浮かれて遊んでいるだろうと思いしばらくすれば止むであろうと放っておいた。

しかし、なかなかこの様子が収まらない。
これは何事かあるのではと感じ、そっとゴン太の様子を、家の中から窺ってみたところ、ゴン太のネットの外に何かがいる様子なのだが、それが何かはすぐには分からなかった。
よくよく見てみると、ゴン太に似た動物とネットの内と外とで遊んでいるようなのであった。
さらによく見ると、ゴン太とは体形が違うようなので、やっとそれがキタキツネだとわかったのである。
幸い月の光は明るく様子がよくわかる。
その時は子供たちは大きくなって東京住まいなので妻と二人でその様子を観察していた。
なるほど、狐は犬科であったことを思い出し、同系統の動物として遊んだりするものかということをなんとなく知った。
ネットをさかいに近づいたり離れたりしながら遊んでいる。
ゴン太がネットに近づきネットから手(前足)を出したとたん、キツネの反応は驚くべきものだった。
後ろに下がるのではなく、真上にとび上がったのである。
しかもそれも尋常な高さではない。
2メートルはオーバーかもしれないがそれくらいの跳躍をしたのである。
そのような話は聞いたことはあるものの、目の前で実際行われると大変な驚きであった。
もちろん、ゴン太は一瞬何事が起ったか訝しがるように見えたが、ネットの前にキツネが着地することでわっかったようでは
ある。
これがキツネの攻撃力なのか、または窮地を脱する方法なのかいずれにも使えるキツネに備わった能力なのだろう。
しかも、助走もなしに一瞬のうちに跳び上がるのだから恐れ入る。
従って、キツネと対峙した動物はその動きについていけづ、見失ってしまうことになる。

イソップはじめいろいろな物語に出てくるキツネの性格の表現として狡賢いとされるのは単にキツネの顔つきからだけではなく、この跳躍で相手を幻惑してしまう様子からも出ているのではないだろうか?
ライオンにむかっての対応なんかの横柄な態度がとれるのは、この一瞬にして真上に跳び上がる跳躍力は他の動物にはないのであろう。
確かに、目の前で見ると、大変な能力だと思う。
跳躍には助走とか反動といった動作があってできるのだが、このキツネの力は動物界でも異質のものではないだろうか。

たまたま、まばゆいばかりの月の光の中での光景はいまだに残っている。

残念ながら、妻にはこの話より、ゴン太にキタキツネのエキノコックスがうつらないだろうかという心配の方が大きかったようである。

【ゴン太物語】1話〜7話
【ゴン太物語】8話〜9話

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